留保と拒絶 250803
2025/8/4
いけばな教室の場で、おじさんおばさんに交じえて高校1年生と話していて、考えさせられることがあった。
昭和世代にとって3世代同居は珍しくなく、表面的には理解できない素振りをみせていたことも否定はできないが、祖父と孫の間でも分かり合える共通感覚や考え方があった。高校1年の彼は“おばあちゃん子”なので、自分はずっと上の世代も理解できると言う。しかし「もう今の小学生の感覚はわからない」らしく、同世代と呼べるのは上下2~3年くらいの同年代でしかない。
私の子どもの頃は、親や先生など年長者の権威が強く、ある部分では同調を装うことが世渡りには必要だった。また、世界の情報化が進んでおらず未知なる存在も多かったから、異質なものや不明なものに出会うと一旦留保するというのが、コミュニケーションのスタイルだった。それに対して現代社会と現代人のコミュニケーションは、異物に対して拒絶を示す。
さて、高校1年の彼は特別である。草月テキストの記述や私のアドバイスを一度は必ず留保し、「ちょっと遊んでみていいですか?」と別の角度から攻めてくるのだ。