神社と花 251012
2025/10/13
今月10日は護国神社の慰霊大祭で、終戦80年の特別な日でもあった。大祭後の直会の席で、神職が太鼓の話をされた。神社の太鼓の音には、邪気を払って場の空気を浄めること、神様をお招きすること、神事の開始を告げることという意味があって、その重要さは計り知れない。
そんな神社に献花をするのは、よくよく考えると大変なことだ。そもそも芸術というのは一種の革命的蜂起を使命としている。既存政権の打倒ならぬ、既存の価値観に対する絶え間ない疑問の投げかけである。それは草月流のスタイルでもあるから、下手すれば神様に対するバチ当たりになりかねない。
そこで思い返しておきたいのが、いけばなを「場にいける」という絶対条件である。場の提供者や利用者を尊重する姿勢で臨むため、革命的ではあっても革命をそこで引き起こすわけにはいかない。だから、草月だと声高に言いつつも、保守的な振る舞いをすることもあるだろう。
これだけ自由や個性が謳歌される時代になっても、手水鉢を可愛く飾るにしても、どこまで「場の伝統」と折り合いをつけるかというのは大きい問題である。