いけばな降臨 250908
2025/9/8
経済的に、社会的に、いけばながどういう貢献をするのか、これを主題に掲げると失敗するような気がしてきた。いけばなは目に見える実益から距離があるからこそ、心も体もひとまとめに洗われるような、滝に打たれる禊ぎのような性質に近いのかもしれないからだ。
花を束ねて壺に挿すという行為を物足りないと感じ、そこに作為を加えていくといけばなに近付き、目の感覚では達成感があってもまだ満ち足りなさを覚える。それを越えると「ゾーンに入る」というか、滝行や座禅の域に向かうというか、遂に目的さえも霧消して、気付いたときには心身が健康になっている、そうあることができれば申し分ない。
生きるということの主題(目的)は掴みきれないけれど、みんな薄々わかっている。だから、あとは生き方(方法)の問題である。いけばなのある生き方というのが、精神衛生上いいかもしれないし、経済生活上はよくないかもしれない。しかし、人はいつも正解を選ぶとは限らない。
選ぶというよりも、むしろ、心を開放して着想が降りてくるのを待つという態度が望ましい。他力本願の積極的選択だ。