センスの正体 251221
2025/12/21
18歳で上京したとき、私は主体性を一度失っている。「ほやけど」と言って田舎者がバレるのが怖かった。テレビを見ていても、誰もかれも全部標準語で、関西弁の入り込む余地はないと思っていた。
昔の方言は互いに異国語のように差異が大きく、コミュニケーションに支障をきたすこともあった。今は全国が標準語に呑み込まれてしまったので、逆に小さな差異としての方言が、パーソナリティの一部として愛されもする時代である。高市首相の振る舞い全体にはあまりセンスの良さを感じないが、関西弁を会話に混ぜ込む彼女の話法はセンスが高い。
センスというのは、主体性を放棄しては成り立たない。感じ方や表現の仕方における、自分と他人との距離感のつくり方の適切さだと思う。相手に近過ぎると、存在感がなくて意識してもらえない。相手から離れ過ぎると親和性がなくなって遠ざけられる。だから、センスがいいと言われる人は、相手と同じ土俵上でちょっぴり違いを見せるのだ。
この意味で、いけばなは、センスが求められる。一般的なファインアートの世界は、もっと強烈に個性をぶつけ合う。