一貫性 250706
2025/7/6
「一貫性がない」という批評は、たいてい否定的だ。一貫性は、徹底的に極めるための必要条件だと思う人が多いと思う。
私はへそ曲がりだからそんなに厳密には考えない。頭の中に、1本の長い線を引くイメージを思い浮かべるとしよう。幅が1mmの細い線だ。この線の上を足を踏み外さないで歩き続けることが、一貫性のイメージである。では、幅1kmの太い線を引く。ここまで太いと、広い道と呼ぶべきかもしれない。この広い道を歩き続けるとき、右へ行ったり左に来たりしても、それを一貫性がないとは断じられまい。
私のいけばなは、自分が演劇の演出家になったつもりで、花材を書家が引いた墨文字の線に見立てたり、体操選手に見立ててみたりと、花材をいろいろに見立てることが多い。この前など、三段跳びの選手の空中姿勢が目に焼き付いて、そんなイメージのいけばなができたらいいなと思った。
いけばなにはたくさんの流派があり、芸術にはたくさんのジャンルがある。そういうものをちょっぴり舐めたり齧ってみたりしながら、自分の中では草月の広い道を一貫して歩いている自覚がある。