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いけばな随想
diary

小綺麗ないけばな 250928

2025/9/28

 私が陥るのは小綺麗さの罠である。綺麗ないけばなは良いが、小綺麗ないけばなということになると、文字面以上に実質は大きく見劣りしていることになる。馬力が足りないときなど、省力化に向かって小綺麗にまとめる出口を探しがちだ。
 そういうふうに、綺麗な花をいけて、小綺麗ないけばなをつくるのは愚行である。ましてや、綺麗な花をいけて、うす汚く仕上げるのは蛮行である。筒井康隆氏が『やつあたり文化論』の中で、うす汚いのはダメだが、汚いのにはそれなりに価値があるということで、谷岡ヤスジのギャグ漫画を例示していた。汚さには突破力が半端なくあるが、うす汚さには退行性しか感じられない。
 元に戻ると、綺麗な花を使って、もっと綺麗に感じられるいけばなをつくり得るかという問題である。そして派生的に感じるのは、小綺麗な人という問題である。
 花も人も、素っ裸のそのものに対して、小綺麗だとは感じずに綺麗だと感じる。花はいけばなになって、人は服を着たり化粧したりして、小綺麗さの罠に陥る。花も人も、持っている綺麗さの素質を生かして、突破していきたいものだ。

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