日常の非日常 251113
2025/11/14
日常というのは、つまらないものだとされてきた。昔は大した余暇やレジャーがなくて、「せめて、ハレの日はこうでありたい」などと願うような特別な日が、1年に数度しかなかった。
最近は楽しむための余裕も増え、日常でハレの気分を味わう機会が増えてきた。ハレとケの入れ替わるインターバルが短くなると、どっちが普通の状態なのかわからなくなる。ハレの機会が増えた分だけハレが日常に近付いてくるので、ちょっとのことでは気分が高揚しなくなる。そうすると、小さなことで大きく感動することのできる素質を持った人が得ということになる。
私は次回の人生では、できるだけ早くからいけばなをやろうと思う。書道や茶道もいいけれど、華道には大きなアドバンテージがある。生きた花材がパートナーなので、墨や茶に比べて意外性に富んでいるのだ。つまり、より大きな感動や高揚感を味わえる可能性が高いということである。
ともかく生きた花材は、花屋で出会う時点で一期一会であり、日々枯れた葉や散った花を取り除いて手を掛ける過程でエキサイティングであり、飽きるということがない。