日課のいけばな 260127
2026/1/27
K君のことは、生徒とも弟子とも呼ぶことがはばかられる。彼は私より遠くへ、イッてしまっているからだ。距離的に遠くへ行くのではなく、そこに居ながらイッているという、まさに芸術家が芸術家の花をいけている。勅使河原蒼風の作品に比べて、無機的な性質と重量の軽さが彼の作品の印象だ。
Yさんの作品もイッていたことを思い出す。Yさんのいけばなは、手数が多い時と少ない時があったのに対して、K君のいけばなは一定して省略が効いている。
私はと言えば、はなをいけることが特別ではなく、日々のルーティンになりつつある。表面的には悪いことではない。いけばなをする人になったなあと自賛してやりたくもある。しかし、そこには怠惰と妥協が入り込み、質の低下を招くことに繋がっている。朝夕に歯を磨く感じ。これはピンチだ。
人に見せる意識が薄く、自分だけを相手にしているわけで、美しく仕上げるよりも花材を余らせないことに軸足が置かれるからである。レストランの賄い食のような、花材の消化試合みたいな感じかな? という、なし崩し的な取組が非常にマズい日課なのである。