暗示 251108
2025/11/9
シンプルな言葉やスタンプでやり取りする“超効率的コミュニケーション”が蔓延し、私も現代のその傾向に加担しているという自覚から、気分が優れない。これは、「イエス、ノーをはっきりさせる」米国型文化が、言葉を慎んだり選んだり紡いだり濁したりする日本型文化を駆逐しつつあるという寂しさである。
何はともあれ、今の世は効率が重要で、それによって生産性を高めなくてはならない。回り道で余計な時間を取られないためには、意思を明示することが求められる。
今日は草月流の広島県支部いけばな展に行き、様々な様式の作品を見せてもらった。そして、いけばなは暗示の表現だと再認識した。私は自分の思いに陶酔できるタイプで、好きなものとそうでないものが明確だ。それなのに、好きな根拠をわかってもらおうと言葉を尽くしたところで、何日もかかってしまうか、鬱陶しくて嫌われるかのどちらかだ。
今日のいけばな展では、私がその世界に入り込める(暗示内容が見える)作品と、そうでない作品とに二分され、半分だけ見えたかな? というのはありえなかった。暗示はそういうものだ。