木を見て森を見ず 250515
2025/5/15
花が「いけばな」になるというのは、花という植物存在から、作品という意思のかたまりになるということ。初めに花としてただそこにいて、人の気持ちなど何も込められていない状態から、いけばなになった途端に花そのものの存在が消えて、「私」の意思で形づくられた「私」の分身がそこに出現するのだ。
いけばなを見る側の人に強く求めることはしないとしても、いけばなは花を1本、2本、3本……と足し算したものではなくて、掛け算によって花ではない新しい何かが表されていると知っていただけると幸いだ。花を足し算で見る見方は「木を見て森を見ず」という見方で、木を何十本も足したところで森の全貌は見えてこない。
ただ、いけばなの場合は引き算をしていることもあるから、裏事情は単純ではない。
制作過程で一旦は森をつくっておきながら、どんどん伐採していって開墾された大地に一本松が残った、みたいないけばなもある。初めから立っていた松と同じ松に見えたとしても、周りの松が消失することによって、それは例えば祈念の対象の松として新しく意味づけされて変身しているのだ。