欠如と過剰さ 260122
2026/1/23
いけばなが完成する。もうこれ以上、枝の1本も足さず花の1輪も引かないという決心に至ったということ。いけばなとして調和が取れ、自分の心の状態としても平穏を迎えたということだ。
ところが、もう1人の自分があれこれ思う。「わたしは、一体全体、こんな“中庸”を目指していたのだろうか。むしろ、削り過ぎた単純化や過剰過ぎた存在感で、見る人にある種の不安や衝撃を示したかったのではないか」
改めて考えてみたい。会社に客人を迎える際のいけばなは、その会社の社風を感じさせ、また、相手に対して粗相のない儀礼を尽くすものとして、常識のうちに調和や平穏が期待されるだろう。一方、家庭に客人を迎えるいけばなは、ホストの感性や個性が溢れ、相手との懇意さによっては、ユーモアを感じさせたり楽しませたりする積極的なエンターテインメントを出すチャンスでもある。堅苦しい礼節よりも、ホストの気分がストレートに表れて好ましいと思う。
誰かに対するアプローチとしていけばなを使う場合、そのやり方には両極があるのだった。大人しくやり過ごすのか、目を見張らせるのか。