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いけばな随想
diary

無理解と理解と 251126

2025/11/26

 いけばなを自分が始めるまでは、親しい人のいけばなに惹かれても、感動の仕方が解らなかった。「綺麗だね」これで精一杯。感動を表す言葉を知らなかったともいえる。
 いけばなを続けるうちに、いけばなを語る言葉をたくさん覚えた。今度は、感動するよりも前に、そこに見えているいけばなを言葉でスケッチしてしまう。損な話で、美術館の学芸員が鑑賞者のために解説原稿をパンフレットに書くみたいに、思考と論理で作品を搾り取る。言葉で搾り取ったあとの作品は、もう絞り滓である。
 2人以上のお互いの考えや感じ方は、言葉でコミュニケーションを取るしかない。相手がいけばなをしていない人だったら、私は思い付いた言葉で気兼ねなく話し、相手もぼんやりと解った気になって「ホント、いいですねえ」と相槌を打って、会話は幸福に終わる。
ところが、いけばなをしている相手に対して、私はどうしても身構えてしまう。微妙な内容まで理解し合えるものだから、ちょっと用語を間違えると、意思や本心と異なるメッセージが相手に伝わってしまう恐れがあるからだ。解り合えるからこその面倒だ。

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