現代美術的な花 250618
2025/6/19
アクション・ペインティングやシュールレアリズムの自動筆記など、制作者の意図や理屈を超えようとする表現形態がある。その手法で表現された絵画や小説などでは、“傘とミシンの出会い”など、意味不明だったり荒唐無稽な浮世離れしたモチーフが喜ばれる。
何をするにも人間的でありたいという人間らしい願いを蹴飛ばし、自分を偶然性や夢の世界に放り込むところから表現を開始する。理由や目的にがんじがらめになっていた自分を、テーマ性がなく計画性のない無限空間に委ねるのである。
そういう現代美術とは別のアプローチで、障害を持つ人によるアートや、自覚のないまま描く子どもの絵画などに価値を見出そうとする取り組みも見逃せない。ナイーブな感性や無垢な感性によって表現された作品に、崇高さや透明さや温かさを感じたり、逆に人間の宿業を味わったりする。
そういう視点で見ると、リサイタルの迎え花やホテルの玄関花のように目的意識が明確ないけばなは、特に面白味がない。勝手に手が動いたとか、花がこういけてくれと言ったとか、そんなトボケたいけばなも案外面白いと思う。