空洞をいける 250818
2025/8/19
昨日から「空洞」について考えている。
子どもの頃、絵を描くのに黒い紙を渡されて、戸惑った記憶がある。白い紙ならば、少しずつ線や色を足していけば“余白”がなくなっていった。紙は“白紙”であるものと思い込んでいたから、真っ黒な紙を前にしてどうすればいいか分からなかった。大人になった今、黒い紙は白い紙を一度塗りつぶしたようなもんだという風にも思える。隈なく黒く塗りつぶしたものに、白い隙間を開けていく作業を始めるというわけだ。
いけばなであれば、何もない透明空間に少しずつ枝の線や花の色を足していけばそこにスキがなくなっていくというのが常態だが、頑丈な箱に枝葉をぎゅうぎゅうに押し込んで固めた後、外箱を取り去って、枝葉の固い塊に穴を彫り穿つという丸太彫りに近い方法である。
彫刻の制作は、そのように丸太を彫り削っていく方法と、何もないところに粘土で捏ね上げていく方法とがある。いけばなでは、流木や切り株をいけることがあるが、流木や切り株を彫り削っていくと新しい作品の可能性が広がるだろうか。花をいけるのではなく、空洞をいけるのだ。