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いけばな随想
diary

華道的な何か 250429

2025/5/3

 何かの本に、願うのではない祈ることの価値が説かれていた。願いは個人的な欲求に通じやすく、祈りは利他に通じると。
 倫理に正面から向き合うそのような教養とは別に、理屈を離れてインスピレーションによって解に至ろうとする禅問答のような仏教的態度もある。たとえば「得ようとして追いかけるほど逃げていき、捨てようとして追い払うほど付いてくるものなーんだ」みたいな。
 そこまで謎々めいてなくて、勅使河原蒼風とイサム・ノグチとのやりとりに「松をいけて、松に見えたらだめでしょう」というのがある。これなんかは人によって様々な解釈が可能だが、それでも何となく共有できる着地点がある。わかりやすさにおいて、これは多分いけばな的な着地点で華道的着地点ではない。このように見てみると、昔の華道はより仏教的(とりわけ禅的)で、現在のいけばなは宗教性や精神性の着物を脱いで、芸術性の洋服をまといつつあるというところか。
 いけばなをやりつつ、プチ華道的に3つ書いてみよう。「切れば切るほど生かすことになる」「足せば足すほど消えていく」「見えないものを見よ」

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