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いけばな随想
diary

表現の燃料 260102

2026/1/3

 献花祭でいけばなを奉献した。いつもは繋がった1つの連続空間の本殿と拝殿とが、今日は薄衣で2つに隔てられていた。幕が掛かっているとはいえ布地が薄いので、向こう側の様子は半分見えている。
 いつもは低い拝殿でいけた花を、階段を上って神職が本殿に奉るのだが、今日は本殿の中で花をいけた。その最中もずっと、私の背後ではお賽銭が投げられる音と、手を打つ音が聞こえている。しかし、布地1枚で区切られただけにしては神聖さが格段に強く感じられ、参拝者の気配はずいぶん遠い所にあるような気がした。
 昨日「感知」という言葉を使ったことを振り返った。「感じる」ことは、「知る」こととは少し違う。「感知する」というのは、感じることと知ることの両方を含んだ便利な言葉なので、胡麻化しがあってズルかったと思う。
 何が言いたいかというと、知ることも自分の表現に影響を与えるし、感じることも同様だとしたうえで、知ったことで自分の表現に与える変化は、感じたことで与えるそれには到底及ばないということである。知覚よりも感覚で直接的に感じることが、表現の燃料となる。

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