見えていないもの 250624
2025/6/24
写生大会は、私の得意とするところだった。小学校の図工の先生と中学校の美術の先生に褒めそやされたからだろう。写生に熱中しているとき、私の眼と意識で捉えているものが描かれる。逆に私の目が捉えていないものは省かれるし、見えていても意識的に見えていないことにしたいものは描かれない。そうして、見えているものや見せたいものが強調され、見えていないものや見せたくないものは省かれる。
高校では何を描いて何を描いていないか、純粋な創造意欲がなかったから覚えていない。その頃は好きになった異性や好きになったロックバンドばかりが私の世界を占めていて、絵を描いたりする暇のない美術部員だった。
次に描き始めたのは大学になってからで、それは写生ではなく妄想の表現だった。見えているものは描かず、見えていないものが対象になった。この作業は、無意識的に日常生活や仕事の場面でも行われていて、都合のいいものはよく見えるが、自分に都合の悪いものは全く見えない。
いけばなも同じであるが、見えない空間を見せたいという気持ちが強過ぎると、いけている花を見失う。