見るアート、するアート 251102
2025/11/3
かつてそれらを「芸術」と呼んでいた時代、美術も高尚且つ難解な代物だった。東京芸大に合格するためには、高校の部活動だけでは太刀打ちできず、美術教室に通って石膏像の“木炭デッサン”を毎日やらなければならないとされていた。そんなことも知らずに美術部員になった私が突き詰められるわけがなく、早い時点で降参した。
かつて「華道」と呼んでいた時代の終わる昭和期、いけばなは大衆化して芸道の道を踏み外すことも多くなった。いくぶん諦めを伴って、華道と呼ぶことが減ってしまったのではないだろうか。
一方は芸術からアートになり、片方は華道からいけばなになって、互いにその領域を広げ、アートといけばなとが重なるポジションに草月のいけばなはある。それに伴って高尚さや難解さのハードルが低くなり、せっかく大衆の手習いになったのだから、今こそみんな参加すべきだ。
いけばなは、字面のとおり「いける+はな」である。「みる+はな」ではない。誰でも食べるためには料理をするが、いけばなには煮る・焼くがなくて切るだけなので、より簡単にマスターできるというものだ。