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いけばな随想
diary

読む 250312

2025/3/14

 読むのはたいてい本だ。新聞も読む。私はあまりテレビを見なかったが、最近はネットニュースをよく読む。私はサッカー少年だったので、拙いながらも試合で相手の攻撃パターンも読んだ。学校の試験の時期には教科の先生の出題傾向を読んで山を張ったこともあったように思うが、当たったかどうかは覚えていない。親に小遣いをねだってよいタイミングかどうかは、とても念入りに読んだ。思春期には(いつ頃のことをそう呼べばいいかわからないけれど)、相手の気持ちを読もうとしてほぼほぼ読めなかった。
 読んだり、読もうとしたり、読まれたりするのは相手があるからである。ジキルとハイドでもない限り、自分の心を自分が読むことはない。自分以外の相手の心や考えを読もうというのだから、相手に神経を集中させなければ果たせないことである。
 いけばなの花材の状態について、私はいつも読んでいる。人間や動物には表情や態度があるから百発百中でないにしても読めるような気はするが、植物には表情筋がないから喜怒哀楽が読みにくい。25年かかって、彼らの体調は少し読めるようになった。

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