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いけばな随想
diary

通訳の難しさ 241203

2024/12/3

 通訳の仕事は大変だ。外国人同士の会話は、言葉としては成立しても、当人同士にも通訳者にも割り切れない違和感が少し残る。背景となる歴史文化が異なるためだ。子どものとき愛媛県内の南予の祖母に預けられ、方言が違うことでずっと居心地悪く、自分が異邦人であるような感覚だった。
 いけばな用語で、枝を曲げることを「矯(撓)める(ためる)」と言う。矯の字は、曲がったものや悪いものを改めて真っすぐにする意味を持つが、いけばなでは真っすぐな枝をわざわざ曲げることを指す。
 しかも折り矯めと呼ぶ技術は、小枝を両手で持ってミシミシと音が鳴るまで力を加え、枝の半分を無理に折って曲げる強攻策である。プロレスだったら、相手選手は再起不能となるはずの掟破りのスゴ技である。でも、いけばなをしている者にとっては、そんなこと日常茶飯事の「当たり前田のクラッカー」で、技に数えない。
 つまり、人は同じ言葉を使っていても、置かれている環境によって異なる意味でその言葉を使っているから、コミュニケーションを成り立たせるには、十分な説明か通訳者が必要だというわけだ。

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