名実ともに 251009
2025/10/10
1980年頃、私は頻繁に渋谷を徘徊し、宇田川町の輸入盤レコード店「シスコ」を皮切りに輸入盤レコード店をハシゴした。その足でセンター街のロック喫茶「ナイロン100%」に寄り、ニューウェーブ系の“レコードコンサート”を聴いて帰途に就くというルーティンだった。スティングが在籍したポリスの「ロクサーヌ」も「ナイロン100%」で聴いたオムニバス盤に入っていて、急いでレコード店に駆け戻ってアルバムを買った。
そして1980年代にはCDが普及し、レコード販売が翳るとともに、輸入盤レコード店だとかレコードコンサートという業態やサービスの実体がなくなって、言葉も消えてしまった。そもそもレコードを回して聴かせて、それをコンサートと呼ぶのはいかがなものか? 当時そんなことは思いもしなかった。
実体がなくなると、それを表す言葉も消える。言葉が消えてしまうと、それはもう二度と誰にも思い出せなくなり、完全に風化すると塵ほどにも残らない。「名残惜しい」というのは、誰からも忘れられて消えゆくものに対する惜別の言葉だ。いけばなには、残ってほしい。