肩書の効用 240413
2024/4/20
27歳の時、ホテルのチャイニーズ・レストランで、J.M.Hillsという会社の社長、三木清さんから「君は何になりたいの?」と聞かれた。その日の夕方、トムオウルという取引先を訪問した際、そこの社長から三木さんを初めて紹介され、一緒に晩ごはんを食べようと誘っていただいたのだった。
質問に対して、私は「コンセプター」と答えた。「神様みたいなものか」と三木さんは微笑んで、「じゃあ、テレビも新聞も見ないようにしたらいい。神様はそんなもの見ないからね。君の目で直接見たものを大事にしなさい。セカンドハンド・ニュースから遠ざかりなさい」と言った。幸いにも、私はテレビを持っていなかった。
数か月後、三木さんが松山に来られた際、私は新聞購読を解約したことを報告しながら、「プランナー」の名刺を出し、「コンセプターと名乗るのはおこがましくて……」と言い訳した。私は会社員だったので、本来は「営業」と名乗るのが普通だったが、「プランナー」を名乗ることで仕事の範囲が広がったのは間違いない。
それが、後々、仕事といけばなをつなぐことにもなった。