抽象化 240726
2024/7/26
花にはそれぞれ名前があって、同じヒマワリでも一重咲きから八重咲のもの、小さな一輪から大輪まで同じ個体が1つもない。しかし、その一輪一輪にこだわり過ぎると、いけばながいけばなでなくなり、花屋さんの花の陳列になってしまう。
絵具のように売買される工業製品ではないとはいえ、花はいけばなにとっての材料である。しかし、日本人は米一粒もおろそかにしない民族だから、単に材料だった花一輪にこだわって、擬人化したり神格化したりするし、そうでなくとも大事に扱う。花一輪を切り難いし、捨て難い。
昨晩、バー・コンアルマにいけた花は、リンドウ(濃青)、デルフィニウム(水色)、アジサイ(白)で、花器は土台部分が白、筒部分が水色だった。青と白のツートーンで抽象的に仕上げることを初めから意識して取り組んだ。意図はまずまず達成したと思うが、リンドウのリンドウであることを無化し、花器の花器であることを無化することは、相当意識的でなければならない。
花一輪に思い入れが生まれると、抽象化は迷走する。そうすると、なくした方がいい花を残して台無しになる。