倫理 240815
2024/8/15
私は、華道という言葉もいけばなという言葉も好きだ。ところが、華道と呼ぶにおいては心構えとか身繕いとか言われたりして、そうすると華道が儒教的な精神論を期待されているような窮屈なものになってしまう。私自身はさほど反発心がないからいいようなものの、伝統的な習い事に対して倫理的側面を嗅ぎ取って近寄らない人がいるのも、残念な事実だ。
暮らしの中での一般的なエチケットや、社会生活を送る上でのマナーについては、いけばなをやっていなかろうとも、意識して過ごす必要はあるだろう。
しかし、いけばなを芸術の仲間に入れるとすれば、少なくとも非常識(反常識)へと向かうベクトルに片足は乗っけることが、アーチストとしての条件でもある。そんな立場の人にいくらマナー違反と責め立てても、アーチストは深刻に受け止める必要はない。もともと彼らは、常識界とは異なった可能性を求めているのだから。
私は、現実的に世の中に騒乱を起こす心積もりも勇気もない。行動を伴わない以上、革命家への階段を上がっていくことはないというのが、自分に対する安心であり侮蔑でもある。