わからないから続けられる 240818
2024/8/18
いけばなをやっている。どこまで知っていて、どれだけわかっているかはわからない。わかろうとしてはいるけれど、わかっていないことが多いことはわかっている。
いろいろな画家の絵を見ても、「わかった!」と膝を打つようなことはない。はじめからわかろうと思っていないから、わかることが大事ではない。この場合は何かを感じたいと思っているので、何も感じられないと損をした気分になる。
猫を飼っている。いろいろわかってやりたいとは思っているが、つぶさにわかるはずがないという諦めが元にあるので、あまりわからなくても気にならない。しかし、トイレ以外で頻繁に“大きなほう”をしてくれるので、そこは逆にわかってくれよと歎願したいところだ。人は猫ではないから、互いにわかるはずだという前提に立ってしまう。ところがどっこい、わかり合えるという奇蹟はめったにない。やはりそうなのだ、人間同士ですらわからないのに、他のことがよくわかるなんてことはないのだ。
どの道の人でも生涯学び続ける。偉そうに言ったところで五十歩百歩だということがわかれば、しめたものだ。