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いけばな随想
diary

写生的 240920

2024/9/20

正岡子規についての知識も俳句についても明るくないし、彼の写生説というものがずっとよく分からなかった。

創作は個性の表現行為であるという常識とされる立場に反して、かつてエリオットが、芸術の発達は不断の自己犠牲であり、不断の個性の消滅であるという感情移入を避けた没個性説を唱えた。たまたまこの記述に出会って、「それ、子規の写生説?」と閃いた。

17文字の制約を設けたことで、俳句は「私は」や「私が」という主語の自己主張から自由になれた。私たちのいけばなには制約がないことで、作品の規模は大きくなり、個人の作業ではまかなえなくなった。花を主役の座から引きずり下ろし、自分が主役の座に君臨した。俳句の主役は、そこに言葉で写生された花やカエルや暗示された状況である。

いま、私は迷いに迷っていて、主観的につくり込んだいけばなをいけようとしてみたり、一歩引いて自分の気配を消したいけばなの方が“華道的”には品格がありそうだと思ったりしている。意思の力を消し続けるという意思の強さを要求するというところが、没個性説の逆説的で面白いところだ。

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