残像 240921
2024/9/22
花火の残像が頭から薄らぐ頃に、秋が来る。記憶の種類によっては、それを体験したときと変わらぬ生々しさがあるし、肌感覚が消え視力低下によって瞬く星が見えなくなってしまう間際のようにかすかなものもある。
記憶に残る出来事は、1つの出来事に対して前後の出来事があったり、いつ誰と体験したことかというような、関連する複数の体験群から成っているものが多い。2つの点を結ぶと線になり、3つの点で囲むと面になり、複数の点を結んで立体化したとき、記憶は劣化しにくくなるのだろう。
いけばなの作品を構想するとき、無から始めることが私にはできない。どうしても過去に見たいけばなや、絵画や彫刻や、映画や演劇や、演奏会や旅行や、食べたものや飲んだものなどあらゆる残像を集めて大鍋に入れ、かき混ぜながらアクを取り除き、だんだんイメージが固まってくる。
結局のところ、創造は残像の寄せ集めだったり、残像たちを使った料理だったりするようなものだ。そうすると、残像という材料の良し悪しが作品の良し悪しに影響するから、日頃からモノをよく見ておくことが大事である。