気配と気配り 241204
2024/12/4
気は空気の気、気持ちの気。人はいつも気が沈んだり晴れたり、気が付いたり付かなかったりして過ごしている。
気配というのは場の空気で、いけばなをいける空間の性質だ。私はそれに気配りして、それを殺さないよう気に掛け、それに寄り添うよう気を付けていけばなをいける。気の利いたものにしようと、ずっと気を使うわけだ。
時にはいけばなを主役にしたくなって、場の空気を乱すような、変容させるような花を仕立てることもある。気を引くいけばなであり、気を持たせるいけばなであり、気ままないけばなである。やり過ぎたら、元の空間に対して気後れしてしまう。空間を彩るはずだったいけばなが、空間を従えるような振る舞いをすることになり、主客転倒甚だしいと後ろ指をさされる。
しかし、昔から芸術活動は(既成の価値を転倒させる)気ちがいのなせるわざでもあるので、作家は悠々としていて構わない。ただ、普通の人間は、気配を察して他者への気配りを怠らず楚々といけばなに向かうことが、気が病まない秘訣である。「草月流エロスを求めて」活動するプランを、きょう社中で練った。