「絵になる」いけばな 241230
2024/12/30
いけばなを描くとき、花器と花だけでは絵にならない。背景が描かれて完成する。背景には部屋の壁が描かれてもいいし、森や湖が描かれてもいい。ただし、人を描き込むと、花より人の方が主役になりがちなので注意がいる。
高知県の牧野植物園には、牧野富太郎博士の描いたスケッチがたくさんある。それらに背景はない。彼が描いているのはいけばなではなく、植物だからである。図鑑に載せる意図があったので、ただその時に咲いている花を描いて終わりではなく、その植物の発芽や雄しべや種子などが、超細密に1枚の紙に詰め込んである。彼のスケッチは、それだけで完成した価値を持っている。
絵としてのいけばなは背景がないと成り立たないということは、実物のいけばなも背景を含む空間がないと成り立たない。彫刻を絵に描いても作品として意味がないように、本来はいけばなを写真に撮っても、記録資料としての価値しかない。
ただ、土門拳が撮影した勅使河原蒼風の作品を見るとき、土門拳の目は空間を「絵になるように」切り取っているから、いけばなを写した写真として「絵になって」いる。