本末転倒 250613
2025/6/13
目的と手段が入れ替わるというのは、油断した暮らし方をしていると、ちょくちょく起こる。油断とは関係なく、初めから目的と手段の関係が自分でもよくわかっていないこともある。
私がいけばなを始めたときは、いけばなをしたかったというよりも、いけばなを通して「ちょっとひねった表現」がしたかった。その時には、ひねった表現が目的で、いけばなを手段に置いていたフシがある。さて、今は何のためにいけばなをしているのか、すぐに答えなさいと言われたら困る。何のために生きているのかと聞かれるくらい難しい。社会性とか他人の目が気になって、答え方を難しく考えてしまう。人間は他の動植物に比べて、とても難しく生きているのだった。
雨上がりの庭はとても緑が濃い。特に紫陽花と野バラが育ち過ぎるくらい育って、隣で弱々しく何とか生き残っている椿や桃に覆いかぶさっている。生命力はシンプルだ。
世の中には、美味しいものを食べるために生きている人もいれば、生きるために何とか食い繋いでいる人もいる。決め付けはできないが、目的と手段が入れ替わると人生の景色も変わる。