換骨奪胎 250728
2025/7/31
先日は、枝葉末節にこだわる日本人気質に言及した。そういう日本人が突き詰めてきたものだから、華道も茶道も相当に細やかである。ところが、自分自身を振り返りお弟子さんたちの経緯を振り返ると、確かに枝先の重要性は高いものの、作風の幅を広げるためには十分でない。
どんなに時間を使い労力を注ぎ込んでも、細部のマイナーチェンジではその努力が報われないのだ。最少の努力で最大の効果を上げるためには、換骨奪胎の意思が必要だ。新しい表現ができるようになるためには、新しい人間にならなくてはならないのだ。
言うは易く行うは難し。しかし、そこを切り開いていくのが草月の本懐である。他人の作品を真似るのは、稽古としては正しい道だと思うけれど、それを展覧会でやるのは避けたい。また、自分の過去の作品を踏襲するのも手の技を究めるには適切かもしれないが、同じ表現をすることは自ら成長を止めることになる。
人はラクな方へ引っ張られる生き物だから、無理をして新しい自分に入れ替えていかないと、新しい表現はできない。新しい表現をしないと、新しい人間にもなれない。