ワレモコウと母 250815
2025/8/15
お盆である。迎え火は焚いたが、飲み会を優先したから送り火を焚くことができていない。「御免なさい、明日なんとか……」けれども、お迎えについては1つを除いてしっかりやれたつもりだ。棚経で住職をお迎えする前に、準備万端ホオズキを買い、庭のテッポウユリの感じの良いものも切ってお供えしたし。
ただ1つ心残りというのは、母が好きだったワレモコウを供えてあげることができなかったこと。母は生前、それに対する思い入れが強かった。死後、遺品の俳句や俳画などを整理しながら、そのことを知った。ところが、コロナ禍以降、ワレモコウの花屋での値段が高い。質素を絵に描いたような地味な穂先なのに、派手な切り花と同じ値段である。「倹約にも程がある」程、一枝が小さくて貧相だ。
それで、よっぽど母が描いたワレモコウの方がいいと思って探したのに、見つからなかった。
さて、幾度か付き合ってみるうちに、相手のことが次第に分かってくる。ワレモコウについても、暗い場所では実体のない影のように在るその姿に、母が思いを寄せた人たちの魂が棲んでいるようにも感じられる。