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いけばな随想
diary

いけばなの流派 251018

2025/10/18

 小原流・松山支部の花展を観た。以前にも増して草月流との差異を感じたのは、私の草月のキャリアが長くなってきたことによる。良くも悪くも、教育は人を教え育て、所属する社会に適合する性質を強める。
 しかし、流派は違えど、いけばなはいけばなだし、かつて小原流三世家元の小原豊雲と草月流初代家元の勅使河原蒼風とが二人展を開いたように、ライバルは仲間でもある。だから、共通点も観なければならない。
 いつもこのように思って、池坊や嵯峨御流のいけばな展にも足を運ぶ。しかし結果的には、手前味噌な感情を抱いてしまう。悪くいえば「草月脳」に洗脳されてしまったわけで、こうなると「草月ありき」の信仰に近い気分である。
 アーチスト活動の本来の姿は、個人的存在として表現に取り組むものだと思っている。実際に、中川幸夫のような“好戦的”な華道家もいる。そして、どの流派でも、初代の家元は皆そうなのではないだろうか。私はまだ、個人作家になっていない。草月流構成員の一人だ。雅号を名乗ってはいても、実質的には無名の1人として流派の表現に加担しているに過ぎない。

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