門構え 260202
2026/2/2
遺した父の家でいけばな教室を開くことにしたとき、駐車場を確保するために祖父の家を取り壊し、井戸を埋めて門を壊した。それらの中で、壊さなければよかったと後悔するのは門だ。教室のレトロとも言えない安普請の玄関の壁に、いけばな教室の木看板を掛ける。道路から眺めたそのガランとした景色が、どうしても安っぽいのである。看板の重厚さだけが、ひとり浮いている。
昔は、門扉が1つの結界を結び、松の枝がかかる門を入ると、祖父の家の低い軒と庇が陰をつくって、来客を南天と手水鉢が迎えていた。もしそこに木看板が掛かっていたら、文句なしに伝統的いけばな教室であっただろう。その一連の歩の運びにおいて、始まりの門構えがないのでは、何も始まらない。これは、建物だけのことではなく、人が行動するときの気構えにも通じる。
私自身には、いけばなを始めた意識はあっても、伝統的いけばなを始めた意識はない。あくまでも私の人生の伴侶として、現代いけばなをやっている。しかしいま、構えがないままに始めてしまったことを振り返って、何かを早く構えなくてはと焦っている。