汀州Japanlogo 汀州Japanlogo

いけばな随想
diary

いけばなは、何者? 240201

2024/2/1

いけばなは、花展会場にある限り作品である。しかし、凡百のいけばなは、花展会場を出るとたちまち作品の立場を失い、家庭の中に入ってしまうと、もう完全に作品だとは言ってもらえなくなる。

草月の初代家元(勅使河原蒼風)は、1本の流木に着色して湖の畔に置いた。写真家によって切り取られたその風景は、彼の作品集に収められている。花展会場でも美術館でもなく、額縁に収められてもいない1本の流木が、揺るぎなく作品と呼ばれるのだった。

ところで、マルセル・デュシャンの『泉』という作品は、男性用の小用便器が美術館に展示されたものだ。一方、私の家にある便器はもちろん泉ではなく、排水管につながる実用的な便器でしかない。

私のいけばなは、作品になったり、ただの部屋の飾りになったりする。さらには、もっと肩の力を抜いた「あしらい」になったり、ついには、形態はさほど意識されず、行為のみが取り上げられて「たしなみ」になったりもする。

芸術のようで、そうとも言い切れないいけばなは、ディスプレイとして商業空間に置かれたとき、まさに実用的なインテリアである。

講師紹介