わからん楽しい 250107
2025/1/7
何事も「楽しいパワー」には負ける。面白いパワーというのもあるが、これは、離れたところから第三者目線で間接的に楽しんでいるようなよそよそしさがある。
青少年期や壮年期の自分は、いろいろ楽しいことに出会っても心の底から楽しんでいたかどうかわからない。いずれ何かの役に立つだろうからと判断し、そこに価値を認めて面白がる姿勢だったように思う。働いている頃は、より大きい目的のために日常のあらゆる些細な楽しさをないがしろにしていた。
歳を取ると、すでに目的地にいるような、いい意味でどうでもいいような気分でいるから、先のために今を犠牲にしなくてよい。何のためになるのかわからないことを楽しめる。退職していちばん大きく変わったのは、芋虫が木の上から落ちてきたり、セキレイ(鳥)が道路を走ったりする姿に見入って、それを楽しむことができるようになったことだ。歳を取ると子ども返りすると言われるのは、何も認知症との関連だけではない。
改めて、小中学生の頃に通った習字の教室を思い出した。鳥籠のカナリヤを注視していて、墨が筆先から足に垂れていた。