モノと物語 240909
2024/9/9
花屋のバケツにあるリンドウは、リンドウという1本のモノでしかない。それを買って帰り、いけばなの花材として使ったとき、モノでしかなかったリンドウが物語を紡ぐ登場人物の1人となる。
私は視界に入る影や光を計算し、大道具小道具を取捨して、舞台を設ける。花器を据えて、花材の登場人物を6人程度登場させる(主枝3本、従枝は3本かもっと多く)。登場人物ごとに主役や脇役、敵役などを担わせ、その他にエキストラの役を与える。
監督兼脚本家の私は、主題とそれにふさわしいタイトルを考え、場面を設定し、俳優達には出過ぎず引っ込み過ぎない発声やジェスチャーを求めることもあれば、常識をはずれた大袈裟な演技を求めることもある。そうして、1本のリンドウも、あまたの生活者の1人でしかない立場から、唯一の役を演じる俳優となり、無名のモノから名高い名優へと脱皮するのである。
もちろん、リンドウが生来持っていた生命力やポテンシャルが必要だったことは言うまでもない。しかし、それ以上に、監督である“私”のリンドウを“いける”行為が、リンドウの未来を左右する。