何が神秘的か 250428
2025/5/2
いけばなと呼ぶとき、そこに神秘性は感じられない。ところが華道と呼ぶと、神秘的な「何か」が宿されているように響く。それは、室町時代くらい昔の人にとって、禅に通じる「何か」があったからに違いない。この「何か」があったという漠然とした気持ちを、私はずっと持っている。
オイゲン・ヘリゲルという人に『弓と禅』という本がある。日本人にも観取しにくい日本人の精神性を、著者は母国語のドイツ語によって追究しているため、追究の過程を再び日本語に翻訳し直す往復作業によってますます難解さは深まっていると思う。
それで、読めば読むほど(言葉で理解しようとすればするほど)本質から遠ざかるという逆説的で悲劇的な事態に陥るのだが、ヘリゲル氏は実際の弓道の修行によって実体験を綴っているから、読者も本当は実体験しながら読み進めなければ「わかった!」という境地に至らないというのも絶望的な理由である。
そしていま、高校に華道部はあるが、華道ではなくいけばなを教えている。そこでは、神秘的な何も教えようとはしてない。私は再び、彼らと共に初心者を始めている。