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いけばな随想
diary

入門 240131

2024/1/31

少林寺を描く中国映画などでは、入門早々から拳法は教えてもらえない姿が描かれる。遠い井戸まで水汲みに行かされたり、薪を割らされたりする。

結婚式場に就職した現代の新人も、はじめはトイレの掃除ばかりやらされて、「修行したいわけじゃなく、プランナーの仕事がしたいの!」と、意義を見出せず早々に去っていく。だから、現代社会では教え惜しみをすると拙い。教える側は惜しんでいるのではなく、教わる本人に学び方を見つけて欲しいと思っているのに、明日には「退職したらしいよ」というニュースに驚くことになる。

入門というのは、狭義にはギチギチの弟子になることかもしれないが、広義には“その世界”で暮らす一員になることだ。会社の門やサークルの門をくぐったら、それはひとまず入門だ。

どんな組織に入門しても、先輩達は、その世界の空気や匂いを頭ではなく肌で感じ取った者にしか、流儀や技術を上手く教えられないことが判っている。特に奥義は、とうてい言葉だけで教えられるような代物ではないから、本人が意識的にトイレの神様にも繰り返し習って体得するほかはない。

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