内面的作業 250430
2025/5/3
大枝を1本切るのは、手作業においても内面的作業においても“大事業”だ。手作業では小枝を1本切るのとは比べ物にならない握力がいる。内面的作業でも全体のイメージを決める大きな覚悟がいる。小枝を1本切るときは気軽にチョキチョキだ。
ところが、いけ終わりの最終段階に差し掛かると、小枝1本を切るか、曲げるか、そのまま残すかという見かけの小さな選択において、決断という内面的作業は大仕事になる。細部に神は宿るからである。それはダンサーの右手の中指1本の開き加減、曲げ加減にも匹敵する。
だから細かい部分であったとしても、その見え方には当然内面の心の働きが如実に表れている。私の腹回りは最近日に日に大きくなっていて、これはどういう心の働きが表れているのだろうかと思うこともあるが、忘れていることの方が多いからそうなっているのである。つまり、心の働きとは関係なく(というよりも心の働きが足りていない証拠として)、外面的変化が生じていることもあるという事実は見過ごせない。
そういう配慮の足りなさが、いけばなの場合、細部だけに止まらず表れる。