季節感 250210
2025/2/10
日陰の風はまだ冷たく重かったが、午後の空は晴れ晴れと明るく冬の終わりが感じられた。それは視覚的なものと、空気の温度の肌感覚と、庭の土の匂いと、近所の中学校から聞こえる声など、たくさんの要素が私の感覚に訴えた。
人に備わった感覚は個人的なものだから、当然「まだまだ冬!」と思っている人はいるはずで、他人と共有したいと思っても季節の感じ方は微妙に異なるだろう。感覚を共有したいのなら、理屈ではなく同じような経験を当人同士が緊密に持っていることが重要である。
1つには家族がある。血の信頼によって結ばれていることに加えて、同じものを食べて共に過ごした家や土地や環境に対する愛着がある。慣れ親しんだ親戚や近所や風景もある。もう1つは学校や職場である。1日の半分を一緒に過ごす者同士は、やはり分かり合えるものだ。
外国人にもいけばなが広がり、日本人でも新しい育ち方をする人が増えるなかで、私の感覚も影響を受けて少しづつ変わってきている。ほかの人の感覚も、環境や世代などによって大いに変わってきた。いけばなに、季節感さえ込めにくい時代だ。