想像力 241012
2024/10/18
聞くことと想像することの間には、それなりに補完的な関係がありそうだというのが前日の話だった。しかし、よくよく考えてみると、見ることとの間でも想像することは切り離してしまえないようだ。
遠い山を見て紅葉の気配が感じられても、紅葉しかかっている木の1本1本を見定めることができないとき、私は頭の中で楓などの木の姿を想像して、見えたかのように納得してしまっているうことができる。百合の雄しべの花粉の1粒1粒を見分けることができないとき、経験から、今はまだ手で触っても色が付かないとか、これはもう服に付いたら色が落ちないとか、目で見る情報以上のことを経験と想像で補っている。
いずれにしても、聞くときも見るときも、バックグラウンドでは想像力が常に立ち働いているのだった。そして、この想像力が、匂いや手触りなど全ての感覚の中で働きながら、五感の横の連携役を買って出ているのだった。
想像力が五感を統合してくれるおかげで、私たちは花を見るだけで花の声を聞けるし、花を嗅ぐだけで花に触れることもできる。いけばなは、だから想像力の産物だ。