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いけばな随想
diary

意思の力Ⅱ 240127

2024/1/27

昨日は、動機の浅い作品は、鑑賞者が制作者の心的体験を追体験できないと書いた。

しかし、すべての画家が明確な理念を持ち、その理念に忠実な下僕として自分の手を働かせるとも限らない。画家の問題意識が大きければ大きいほど、自身を納得させる十分な説明などできない。だから、ああでもないこうでもないと迷いながら、画布に向かう。

ここで、鑑賞者が真剣に追体験を試みるとき、思い掛けないことに、作者自身がわかっていなかった制作動機を先回りして発見してしまうことも起こるのではないか? 作者がまだ形にしえないモヤモヤを描き、作者としては表現的に未完成だと思っている作品の中に、鑑賞者が客観的かつ論理的に突き詰めて、作者が表現したかったものを発掘する奇蹟。その奇蹟によって、私が手すさびでいけた外形だけの花に誰かが命を吹き込み、いけばなとして完成させる妄想!

作品を制作した時点では意図が浮かび上がっていなかったかもしれないが、私の心か頭の片隅に「語るつもりだった種」はあって、誰かがそれに水をやって、私自身の関与と無縁に発芽させ開花させるのだ。

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