感覚に頼る 250226
2025/2/26
生徒さんたちのいけばなを見て、「優先順位1番の狙いは何ですか? 線? 色? 塊?」とか「作品のテーマがあるとすれば何ですか?」とか、言葉でもって目標を語らせようとする私がいる。テキストに沿って学んでいく初期段階の意識付けとしては間違っていないと信じているが、どこかの段階で論理的な取組を外す必要性も感じている。
花と向き合っていると、ふと降りて来るインスピレーションがあるし、はじめの意図と異なる思い付きもある。根拠のない勘に動かされて、方向転換を繰り返すことも多い。感覚の命じるまま紆余曲折である。
人が求めるどんな道にも奥義に至る諸段階があって、各段階を突き抜ける通過儀礼がある。通過のヒントは師匠が示してくれるはずだが、答えが示されることはない。師匠の言葉がわからないうちは、それがヒントであることに気付かないし、師匠の言葉がわかるようであれば、すでに通過してしまった後である。
通過するための鑑札や呪文はなく、感覚的にスイッとワープするのだ。ある日突然に自転車に乗れたときのように。ある時不意に逆上がりができたときのように。