暗い花 240820
2024/8/20
我々の暮らしの様子を眺めると、何か価値あるものをつくり出すことが称賛され、その価値の高さを証明するエビデンス! が極端に求められるようになっている。食品も、漠然とした美味しさよりも、明確な機能性の優先度が高い。芸術についても、著名なプロか無名のアマチュアかに二分されたり、情報発信量の多さによって評価が得やすい。個人の家にひっそりといけるいけばなと、衆目を集めるデパートのエントランスを彩るいけばなとの間にも、偏った見方や評価が下される。
いけばなに侘び寂びの精神があったというのは、昔日の話になってしまったのだろうか。多様性を良しとするポーズとは裏腹で、いけばな展においても、侘び寂びに向かう表現をすることに私は怖れを感じる。
いけばなは、それにふさわしい場にいけるか、場に合わせていけるか、どちらにせよ場を無視できなくて、展覧会の場もその捉え方が鍵となる。一般的な意味での装飾性の低いいけばな、不健康で暗いいけばなは、あえて展覧会に出すことが不適切なのかどうか、自信がないままに出すか、それを避けるか、私は逃げ腰になる。