沈黙の表現 240825
2024/8/26
無声映画と呼ばれる芸術は、「無言無音で語る!?」ことで観衆の目に訴える技術を磨き上げた。チャーリー・チャップリンはその代表格で、数多くの名作を通して喜劇王とも呼ばれた。しかし、私の中では喜劇性よりも攻撃性を強く感じてきたので、冷静な激情王と呼びたい。
それはさておき、無声映画はセリフがないため、喜怒哀楽は文字通り体現するしかない。基本的には、パントマイムをデフォルメしなければ伝わりにくい。大道具・小道具も大いに助けとなるし、1人芝居ではないので共演者の演技力もそれを助ける。
しかし、難しいのが、小さくさりげない喜怒哀楽の表現だ。演劇部員だった経験から言えば、食事中にちょっと咳き込むとか、仕事中に不覚にも眠たくなるなど、日常的な何気ない演技ほど難しいものはない。
さて、ジャンルは違えど、いけばなも沈黙の表現だ。生活空間にいけるとき、その存在感が大き過ぎると、デフォルメされた大袈裟な演技と同じようになってしまう。部屋の空間に寄り添うように、静かでさりげない演技が必要となる。それでいて「黙して語らず」ではまずいのだ。