流派を超えて 241029
2024/10/30
いけばなというジャンルの輪郭は、正直なところはっきりしない。私が捉えるいけばなは、草月の家元が捉えるいけばなとは、きっと異なっている。また、ひとくちに「いけばな」と言っても、無数の流派を持ついけばな界である。
いけばなはフラワーデザインとの相対的な関係として立ち現れる側面もあれば、華道という世界との関係で現れる側面もあるし、芸術全般の座標での位置付けも可能だ。もっと広く、趣味という大海での位置付けや、生活文化という軸での捉え方もできる。
先日の「県民文化祭いけばな展」で、他流派の方々とお話をする機会を得て、とても勉強になった。特に、池坊の先生の「過去・現在・未来」を作品に包括する意識や、嵯峨御流の先生の「原点に向けて削ぎ落していく」態度などは、私の足りないところを再認識させるような示唆に富んでいた。
いけばなに限ったとしても、それに取り組む私の心身には、いろいろなものが混じり合って入ってくるし、いろいろなものが脱落し続けてもいる。食べ物と同じで、いろいろなものを貪欲に食べて、大いに消化した者が育つのではないか。