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いけばな随想
diary

清濁併せ呑む 240718

2024/7/18

善悪と同様、清濁の良否も判定が難しい。本来は対立軸の両端にありながら、「清濁併せ呑む度量」の大きさが経営者や政治家に求められもするからだ。

ファインアートは、大まかにいえば、美しい(芸術的にインパクトがある)こと以外の実用面で役に立たないことを表す。いけばなは実用性のないファインアートだろうかと考えたとき、少なくとも花嫁修行の1つとされた時代においては、いけばなは大いに実用性があったと言わねばなるまい。

しかし、レストランの大壁に絵画が掛けられているとき、その意図は集客装置であるのか、純粋に店主の美への思い入れであるのかは他人にはわからない。いけばなも、玄関にしつらえられた来客へのおもてなし装置かもしれないし、いけばな展に出す作品はファインアートだといえようし、いけ手の意図や見る人の意識によっても違ってくる。

展覧会のいけばなも、単に人気投票の対象になってしまったら、それはエンターテインメントの材料として用いられた(用に立った)として、少なからず濁った性質を帯びることになるのだろう。いけばなも、清濁まぜこぜだ。

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