猿真似 240628
2024/6/29
猿真似は、人間がそれをやっていると否定的に評価される。しかし、実際の猿社会でそれが行われている様子が報告されていて(『想像するちから』松沢哲郎著)、子猿が親猿を模倣して成長していくさまが肯定的に描かれる。子猿は、親や先輩の模倣を繰り返しているうちに、他者の気持ちが理解できるまでになるそうだ。
人間の私は、いけばなの型を文字通り猿真似してきたが、それを通して家元の気持ちまで理解しようとしてきたかと問われると、答えに窮する。猿以下の形骸的な猿真似だったとしか言いようがない。
また、人間の私は(仮に猿だったとしても)、いけばなのやり方についても自分自身が好む行動の癖が邪魔をして、新しい行動様式を広げにくい。だから、もし、テキストに示される「花型」がなかったら、私のいけばなのレパートリーはずいぶん幅が狭く、味気ないものになっていたと思う。
猿真似する見本が幅広く用意されていることは、私が抱えている狭苦しい好みの範疇を押し広げ、自分だけでは試みることのなかった作風を真似してみるという、可能性を広げる機会を用意してくれる。