目当てなし 240907
2024/9/7
カヤックで海へ漕ぎ出すとき、目線はできるだけ遠くへ向ける。パドルを海へ差し込む近い所だけを見ていると、進むべき方向を見失ってしまうからだ。逆に水平線の彼方だけを見ていると、これも危ない。目に映る景色が変わらず無力感に襲われるし、海面ぎりぎりに突き出た岩礁で船底をこすったり、乱れた潮目に捕まったりするからだ。
また、カヤックでは、目的地なしの航海ほど不安なものはない。漂い続ける行為の向こうには、仮に遭難しなかったとしても死ぬイメージしかないからだ。
私がいけばなの道を歩き始めたとき、目的地はなかった。20余年を経て目的やゴールイメージははっきり見えないけれど、少しずつ靄が晴れつつある気分だ。それは、ある意味で行く先を探すことをやめて、漂い続けることを目的にしてしまうという思い付きによる。シーカヤックでは死ぬ覚悟が必要かもしれないけれど、いけばなでは目的意識がなくても死ぬことはない。
いいじゃん、いけばな! 目的地に到達することに意味があることがらと、目的地に関係なく「それ」をしていること自体が目的なのもいいことだ。